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チャイルド44

Posted by drazone on 2009/10/07

チャイルド44 上巻 (新潮文庫) チャイルド44 下巻 (新潮文庫)

本を閉じるとき、こんなに寂しい気分になったのは何冊ぶりだろうか。ずっと読んでいたいと思った。つまり傑作といっていい。トム・ロブ・スミスの処女作「チャイルド44」(上巻下巻)は極上のエンターテイメントに仕上がっている。

舞台はスターリン時代のソビエト連邦。主人公レオ・ステパノヴィッチ・デミトフは、ソ連がナチスドイツを破った大祖国戦争の英雄であり、KGBの前身である秘密警察MGB捜査官。レオは、平等な理想社会を実現し工場労働者である父に医者と同等の生活水準を与える祖国を誇る。そしてソ連のエリートらしく、大いなる目的のためならば、黒を白というのも厭わない。

彼はあるとき、とある「列車事故」の調査を命じられる。少年の遺体が線路近くで見つかった。調査報告書では列車事故と断定され、それを読む限り、事件性はない。一方、被害者の家族や近隣住民は殺人に違いないと信じている。全裸だった、口に土が詰めこまれていた、不審な男を目撃した……などと報告書を覆すような話がささやかれているという。

そのあたりがこの作品の設定の妙味で、共産革命を実現し、人民が平等を享受するソ連においては、犯罪はありえない。犯罪など、西側社会のブルジョア的病いがもたらすものであり、ソ連であってはいけないことなのだ。もしあるとすれば、システムが間違っていることになる。つまり権力側に責任が回帰してしまう。だから権力の中枢の一員であるレオが目の前に立てば、それを心得る証人は口を閉ざし、調査報告書に合わせて事実が形作られていく。

結果、現在進行しつつある連続猟奇殺人事件が明るみにならないまま、子供を狙った殺戮は続く。その後レオは同僚の謀略でモスクワ郊外の僻地に左遷されて初めて、偶然、祖国で何が起きているかを知るが……。

際立つのは、この設定をエンターテイメント小説に与えた著者トム・ロブ・スミスのクレバーさだ。スターリン時代のソ連、秘密警察の捜査官である主人公という設定は刺激的ながら、一見するとエンターテイメントドラマを描くのに困難に見える。が、そこにはビデオカメラも携帯電話もなく、偵察衛星はもちろん、小型盗聴器もまだ一般的ではない。この設定は、ほとんどあらゆることが可能なテクノロジーの迷宮にストーリーテラーを陥れることなく、ゆとりのあるドラマを可能にしてくれる。またそこにはドラマにとって便利な抑圧があり、しかもスターリンという絶好のアイコンまでそろっている。PCも携帯電話もGoogleもEメールも偵察衛星もデジタルビデオもない世界――人間の主観や物理的限界が状況に色濃く反映される世界は、ストーリテラーにとって実はおいしいのだ。著者はそんなおいしさをじゅうぶん自覚しつつ、この手のジャンルにありがちな浅薄さを拒み、キャラクターの心理を緻密に描くことで、また、「組織と個」「システムの非人間性と個の人間性」といった現代にも通じるテーマを、スターリン下のソ連という極にふれた世界を使って増幅させることで、重厚なドラマを構築することに成功している。

かねてからおれは、ミステリーやサスペンスはその宿命として、「24」のようにパラノイア的にテクノロジーを突き詰めるか、逆に「LOST」のようにあえてテクノロジーから遮断された設定にするか、両極に二分され、設定の多様性が失われていくのではないかと考え、その解決策のひとつとして、五〇年前くらいのそれほど遠くない過去を現代的に描く手法が有望なのではないかと漠然と感じていた。それをトム・ロブ・スミスはこの作品で完璧といっていい完成度で成し遂げている。

さらに著者はストーリーテラーとしてのクレバーさも光る。唸るくらい巧い。おれが一読した限り、取りこぼしや破綻は一切ない。古典から近作まで映画・小説に精通しているのだろう、先人たちの遺産を鮮やかに織り交ぜ、駆使する。「追われながら追う」やマクガフィンなど古典的手法を利用しつつ、映画のようにときおり短い印象的なシーンを挿入したり、「24」よろしくリズミカルに読者を裏切るという最近の流行も取り入れ、その手練手管は、多様な娯楽に囲まれ、ストーリー慣れした現代の読者も飽きさせない。

あえていえば、そんなあざといまでの逡巡のない巧さがトム・ロブ・スミスの作家としての将来を不安にさせる。だが、もし不安が的中し将来どんなにひどい作品を書いたとしても、処女作「チャイルド44」が活字エンターテイメントの真髄を思い出させてくれた優れた小説であることに変わりはない。